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    【日本のCTO vol.4】リブゼント・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 橋本善久氏 「CTOとは“ちょっとときめくお兄さん”であること」<前編>

    日本のCTO

    2016年01月07日

    【連載:日本のCTO】成長中の企業でCTOを務めるエンジニアたちは、どのような道のりを経てそこへたどり着き、現在は何を思考し、努力を続けているのか? この連載では活躍する日本のCTOを訪ね、キャリアの背景にあるストーリーから、CTOとしての知られざる思考やエピソードなどを伺っていきたい。

    第4弾はリブゼント・イノベーションズ株式会社、代表取締役社長、橋本善久氏。株式会社セガでプログラマー、ディレクターとしてゲーム開発に従事した後、株式会社スクウェア・エニックスのCTOに就任。しかし昨年、ゲーム畑から一転した事業に着手すべく起業し話題となった。また、学生向けのプログラミングスクールを開催するライフイズテック株式会社取締役CTOを兼務するなど活躍の幅は多岐に渡る。そんな橋本氏のこれまでの経緯を追うとともに、これからの視点、そして「働くことの意義」をうかがった。


    ※記事は前編、後編に分けて掲載します。本記事は<前編>です。


     

    ■ドラえもんからはじまりMSXでプログラミングに夢中だった少年時代

    Q.かなりさかのぼってお聞きしますが、どのような少年時代をおくりましたか?


    ゲームの前にSFや近未来が好きな子どもでしたね。コロコロコミックで『ドラえもん』を読んだときは、時空を超えてストーリーが進んでいく展開に“なんてスゴイ漫画なんだ”と衝撃を受けたのを覚えています。未知なる道具がどんどん出てくるところや、見たことのない世界を見せてくれた『ドラえもん』は僕の原点であるといっても過言じゃないですね。


    プログラミングを実際に始めたのは小学4、5年生のころ。すがやみつる先生の『こんにちはマイコン』というプログラミングの学習漫画に影響されて、ファミリーベーシックでプログラミングを始めました。中学生になるとファミコンでゲームをしながら、MSXでプログラミングをしていましたね。


    高校生ではゲームセンター全盛期になり、目新しい体感型のゲームをセガがどんどんつくっていて次第にセガびいきになっていったんです。家庭用ゲーム機で『ソニックシリーズ』に出会ったとき“自分もソニックがつくりたい”と明確にセガで働きたいと考えるようになりました。


    Q.それで就職活動はセガに?


    大学3年生のころからセガの人事課に「いつから採用始まります?」とこまめに連絡をとって、就活前から人事の人に顔を覚えられるぐらい熱心に活動しましたね。今思えば、相当、迷惑だったと思いますが(笑)。この時からソニックチームに入りたいとアピールしていたので、入社後は念願叶ってソニックチームに配属。ドリームキャストの立ち上げタイトルである『ソニックアドベンチャー』に関わることになりました。


    大学でOpenGLやCGを学んでいたので入社後は動作検証からスタートして、2年目にはキャラクター設計やAIプログラムをつくっていました。AI設計は僕にとってゲームづくりの根幹にあるもので、自ら手をあげてやりたいと言ったんです。


    AIに興味を持ったのは、セガサターン用のゲームソフトでA-LIFEを初めて用いた『ナイツ』という素晴らしいゲームがあるんです。これに影響を受けて、生命があるキャラクターを自分でもつくりたいと思い『ソニックアドベンチャー』でデザイナーと一緒に“チャオ”というキャラを生み出した。ただのゲームキャラクターではなく“生きているもの”“命あるもの”をつくりたい気持ちが強かったんです。


    ここでの経験から、思考をどう捉えて切り取り、モデル化するかという考え方にシフトしていった感じはあります。


     

    ■「日本のゲーム業界を変える仕事をしてほしい」その一言でセガからスクエニへ

    Q.新卒2年目にしてかなり大きい仕事を任されていますが、橋本さんのチャレンジ精神が認められた形だったのでしょうか?


    僕自身がチャレンジしないとダメな気質なんですよ。少し話はそれますが、大学受験で地元の国立大学を受けたとき、試験当日ひどい風邪をひいていて、これは落ちるなと思い結果が出る前に予備校のパンフレットをもらったんです。そこで「東大コース」の文字が目に入ってきて“東大もいいな…”と思った瞬間に頭が切り替わって、地元の国立大に合格したにも関わらず浪人して1年後に東大に入学しました。親には相当、怒られましたが(笑)。


    一度「これがやりたい」と思ったら挑戦しないと気が済まないタイプ。だから、“やりたいヤツにやらせる”というソニックチームの体質はすごく合っていた。当時はソニックの生みの親でもある中裕司さんや大島直人さんなど、ゲーム業界のレジェンドと一緒に仕事ができる恵まれた環境でした。特に中さんは世の中のないものを生み出そうとするマインドがすごく強い人。


    だから、新しいものを考え、積極的に提案する人の意見はきちんと聞いて任せてくれるんです。もちろん“普通の提案”ではダメですけど。実際に中さんは「ありえない」と思われていたものを形にしていましたから。ただ、その分、苦労しているのも十分に知っています。生みの苦しみを経て、いままでにないものを作りあげていく過程を身近で見られたことは、その後の自分の働き方に大きな影響を及ぼしていると思いますね。


    Q.セガに12年在籍後、スクウェア・エニックスへ移りますが、大きな理由は?


    簡単に言うとスクウェア・エニックスの方に声をかけてもらったんです。スクエニではゲームエンジンをつくれる人材を探していて、僕がゲームとゲームエンジンの両方を手がけていたことから話がきまして。基本的に会社に入ったら腰を据えて働くタイプなので、声がかかるまでセガでずっと働くだろうと思っていたんですよ。でも、スクエニの方に「日本のゲーム業界全体で役立つような仕事をしてほしい」と言われて、ここでなら新たなおもしろいことができるかもしれないと頭が切り替わったんです。


    Q.大学受験のとき同様、切り替えスイッチが入ったわけですね?


    まさにそうですね。チャレンジしたい精神がムクムクと湧いてきて(笑)。セガでは30代前半でディレクターになり、いくつかの大規模プロジェクトをまとめていたんですが、段取りを組み戦略的にチームを動かすことに自信もついてきていた頃だったので、スクエニでこのスキルをもっと生かせるのではと考えたのも理由のひとつですね。


    35歳で移籍して1年半後にCTOに任命されました。当時はゲーム業界にCTOというポジションはなかったので、ある意味画期的なポジションだったと思います。


     

    ■プレゼン資料の文字の大きさに着目され、ビッグプロジェクトの指揮、CTOに就任

    Q.なぜ、CTOに任命されたと思いますか?


    自己分析すると、口だけでなくて手を動かす「現場型」でずっときていて肌感覚で現場をわかっていたこと、経営視点で全体感を持って思考していたこと、当時社長であった経営陣と理念やビジョンがかなりシンクロしていたことは大きかったのかなと思います。


    丁度この時期、ファイナルファンタジーXIVを再構築する新チームのコアメンバーに就任するという大きなプロジェクトに関わっていました。まず状況を細かく確認して問題点を把握。そこから戦略を立てて設計・計画を完全に終わらせるまでプログラミングを禁止しました。「僕がすべての責任を取るからプログラミングは一旦全面一切停止して、状況分析と再設計、再計画から始めよう」と。プログラマーは機能別に6、7チームに分かれていましたが、長いところだと3ヵ月はプログラムしていませんでしたね。


    数ヶ月も実装を進めないなんて一見、遠回りに見えるかもしれませんが、大規模なプロジェクトは全体を見通せることが大切。プロジェクトマネジメントの要点として調査・設計・計画・制作で進めていくことを重視しました。見通しを立てることで軌道修正もしやすく、かつ参加メンバーのメンタル負担も減らすことができるのです。


    このような大きなプロジェクトとCTO就任というどちらもとても重責な仕事を任せてもらえたことは、深い信頼があるからこそ託してもらえたと思っています。とてもありがたいことですね。


     

    ■ゲームでリアルタイムエクスペリエンスを生み出す

    Q, その後『リアルタムデモ』を開発して話題になりましたよね?


    効率的、かつ高品質なゲーム開発をスクウェア・エニックスがさまざまフィールドで行えるためのゲームエンジンを作っていたのですが、それを活用して『Agni’s Philosophy』という『ファイナルファンタジー』のイメージを継承した映像作品を発表しました。リアルタイムCGの映像品質をプリレンダーCG品質に引き上げたもので、従来のゲーム映像ではなく、より映画に近い映像で見せることを可能にしたのです。


    当時としてはかなり先を行っていた品質だったので日本のみならず海外にも広まり、映像は2日で200万再生されるほど話題になったんです。なぜ、映像に力を入れたかというと、ゲームエンジンを映像できちんと見せることでCGの基準を引き上げ開発環境を磨いていこうと考えたから。


    この頃から僕がキーワードにしているのは“旅行に勝つ”。つまりリアルタイムエクスペリエンスを提供することです。誤解を恐れずに言えば、ゲームはいわゆるゲーム好きの人が楽しむものでまだまだニッチな市場。たとえば、旅行が好きな女性から見れば、家にこもってゲームをするより、外に出て知らない土地や空気を感じられる旅行のほうが魅力的なわけです。


    ゲーム好きの人たち以外も夢中になってしまうようなエモーショナルな体験をゲームという仮想空間の中でしてほしい。そうなると旅行に勝つような水準の映像、音、カメラワークを提供することが必須です。ゲームはいつか旅行を超えるような世界体験ができるはず。そして、それはゲーム業界にとっても新たなマーケットになるだろうという考えがありました。


    私は、セガ時代〜スクエニ時代〜今と一貫して「まだ世の中にない水準の物を生み出す」ことへの思いが強いように思います。その上で現実の制約条件との折り合いをつけてどうやって着地させていくか、そういう挑戦が日々楽しいと感じています。


     


    <後編につづく>


     


    ―以上、前編では自社を起業するまでの経歴を伺いました。後編ではゲーム業界を飛び出し、リブゼント・イノベーションズ株式会社を起業した経緯、そして現在、橋本氏が見据える「日本の未来を変える」事業展開に迫ります。


     


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