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    【日本のCTO vol.3】Repro株式会社 三木明氏 「失敗は決して悪ではない。大切なのは繰り返さないこと」<前編>

    日本のCTO

    2015年08月06日

    【連載:日本のCTO】成長中の企業でCTOを務めるエンジニアたちは、どのような道のりを経てそこへたどり着き、現在は何を思考し、努力を続けているのか? この連載では活躍する日本のCTOを訪ね、キャリアの背景にあるストーリーから、CTOとしての知られざる思考やエピソードなどを伺っていきたい。

    自らを“ジョブホッパー”と呼ぶ三木明氏の経歴は事実、目まぐるしいという言葉がぴったりかもしれない。大手SIerのサラリーマンを経て、20代半ばで初のCTOに就任。そこから、さまざまな事業に携わってきた三木氏のユニークかつ、チャレンジ精神旺盛なジョブチェンジは聞いていてワクワクするほどだ。現在は、ユーザー行動解析サービスを提供するRepro株式会社のCTOとして活躍している彼に、これまでのストーリー、そしてこれから向かう先を聞いた。


    ※記事は前編、後編に分けて掲載します。本記事は<前編>です。


     

    ■「モテたい」一心で受けた企業に全滅。唯一受かったSIer会社に入社

    Q.高専を卒業されていますが、学生時代から技術者を目指していたのですか?


    特に目指していたわけではないですが、自分の学習能力に一番フィットしたのが高専だったんですよね。技術というかプログラムは幼い頃から身近で、父親がBASICとかでプログラムを書いているような人だったので、その影響はあると思います。


    自分で初めてプログラミングをしたのは15歳のとき。『マジック:ザ・ギャザリング』というカードゲームにハマっていて情報交換するためにWebをつくろうとしたのがきっかけ。少し慣れてくると「簡単な会計システムを会社で使いたいからアクセスでつくる」という父親の作業を僕が手伝ったりしていました。


    高専に入ってからは信号処理や回路設計など電子工学を学んでいました。ニューラルネットワークや画像識別の研究に興味をもち始めて、5年修業して、プラス2年、専攻科で画像識別の研究を継続。22歳で卒業した後、社会人になるわけですが、アタックした希望企業は全滅でして。


    Q.どのような企業にアタックしたのですか?


    僕、非常にモテたかったんですよ(笑)。まぁ、高専に入った時点で無理な話なんですが。そのうっぷんを社会人で巻き返そうと、当時、全盛期だった外資の金融のIB部門に入れば文句なしにモテるだろうと思いまして。ただ、モチベーションが「モテ」なので外資金融は軒並み落ちて、唯一ひっかかった大手SIerに入社したのです。


    入社して1年は外部企業の勤怠管理システムのプロジェクトに携わったりと、比較的な大きな事業を任されていたのですが人事異動で営業に配属。新規開拓の飛び込み営業を担当することになりました。これがまったく結果が出せず、全然成績が上がらない。実力もないし、向いていないなと実感しましたね。それでも2年はがんばっていたかな。


    入社して数年経った頃から「この会社は合わないかもしれない」と感じていたので、その間に起業準備は着々と進めていました。合わない理由としては、簡単に言うと新しいことにチャレンジすることに二の足を踏む社風がある、というところでしょうか。


    ですから、在職中にクリエイター系のコミュニティを運営したり、Incubate Campに参加したりといろいろ動いていていました。そこでIBMのコンサルをやっている友人と出会って「IBMにいながら起業は大変じゃない?」と聞いたら「実は休職したから」と言われたんです。僕が1日で事業に使える時間は退社後の18時から就寝前の翌2時ぐらい。でも、彼は睡眠時間をのぞいて18時間まるまる使えるのか!と考えたらこのままでは勝てないと気がついた。それで翌日に辞表を出したのです。


     

    ■自分しかやる人がいなかったから、死ぬ気でエンジニアを始めた

    Q.退職後はどんな事業を?


    コミュニティで知り合ったエンジニアやデザイナーと雰囲気で検索できる画像検索エンジンをつくろうとしたのですが、僕が起業家としてあまりに未熟だったためにキャッシュポイントのないビジネスを考えてしまったんです。当たり前ですがお金の生まれどころがなければ事業を進められるわけもなく。エンジニアとデザイナーも離れてしまったので、手元に残った作り途中のプロダクトをベースに自分でやるしかないと、これがきっかけ死ぬ気でエンジニアリングを始めました。


    そんな時Startup Weekendで、Repro株式会社の共同創業者である平田と出会って意気投合。リクルーティング系のサービスをつくろうと進めていたのですが、僕がアメリカに本社のある企業でOnlabに参加していたチームから「ジョインしないか?」と声をかけられまして…。それで平田との事業から離れて、そちらへいったんです。自分のより興味のある方へ突っ走ったというか。今でも「あのときハシゴ外したよな」と平田にはつつかれますけどね(笑)。


    ここでは音楽のマッシュアップサービスを手がけていて最終的にはCTOというポジションで動いていました。しかし、資金調達に失敗してしまい、あげくCEOと意見が食い違って会社を離れたんです。


    Q.このあたりから三木さんのジョブホッパー伝説が始まるんですね。


    その通りです(笑)。会社を離れた後は、知り合いのアメリカ人、フランス人、インド人とチームをつくりサービスを立ち上げました。アメリカでRap Genius』というラップの歌詞に自由に注釈をつけられるサイトがあって“ラップリリックのWiki”なんて言われているんですが、そのTwitter版をつくろうとしたんです。


    例えば、有名アーティストがツイートしたらそれに注釈を入れて翻訳し、レコメンドしているものを購入できるようにするというサービス。ここでもCTOとして事業を進めていたんですが、CEOが資金調達にいった先の企業に気に入られて、そのまま吸収されてしまったんですよ。


    結局、ここも出て、平田を始め何人かのメンバーと堅めのECサイトを立ち上げました。しかし、スタート時にコンバージョンレートが思うようにあがらず、この数値がマーケットとして正しいのかも含めて迷っていたんです。そんな時、海外にいる友人に相談したところ、実際にユーザーが使用している画面がそのまま見えるサービスがあるよ、と教えられて。


    それで早速使ってみるとキラーコンテンツがスルーされていることが分かり衝撃を受けたんです。そこで、改善に着手したら結果がついてきた。実は、この経験が今のサービスの基礎になっているんです。ただ、事業自体はECということもあり、面白みがなく淡々としていたため最終的には潰しちゃったんですけど(笑)。


    その後、次にくるビジネスの示唆を見つけるために、日本で最も多くグローバル・シッピングを行っている企業の第一号エンジニアとして迎え入れられて手伝うことに。技術的な側面から見た事業への課題点の洗い出しや開発環境の向上、リプレイスに向けたフレームワーク作りなどリードエンジニアをやって、ある程度形になったところで外れました。


     

    ■新規事業×新技術=新市場というレイヤーにしか興味がない

    Q.サラリーマンを辞めた数年でこの経歴とは驚きです。三木さんが次のチャレンジを起こす原動力は何でしょうか?


    会社を辞めたのが26歳で今、29歳なので3年ですね。原動力は市場の成長性。新規事業と既存事業、新技術と既存技術というマトリックスがあったとすると、新規事業×新技術=新市場というレイヤーに興味があるので。


    そして、この業界の“あるある”だと思いますが、興味のある分野で出会った人から芋づる式にいろんな方と知り合って気が付けばチームになっていて「おもしろいことをやろう!」となることも多いですね。 


    Q.20代半ばでCTOになっていますが、もともと目指していたポジションですか?


    僕がCTOになったときはチーム内にエンジニアがいなかったので“なりたい“ではなくやるしかない”でしたね。でも、性格的にただのエンジニアだけでは満足できないので必然ではあったと思います。


    僕の中でCTOとは事業をしっかり回すことが一番のミッションだと考えています。顧客をつくり、売り上げを立てることを念頭においたうえでシステムやサービス、ロードマップを組み立てていく。直近の開発だけに気を取られず、2ヵ月、3ヵ月先のあるべき事業状態と将来を予測しながら進めることを意識していますね。


     


    <後編につづく>


    ―以上、前編では波乱万丈とも言える経歴について話していただいた。後編では現在、共同創業者として立ち上げたRepro株式会社の事業内容やCTOとしての役割。そして三木氏の素顔をお伝えする。


     


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