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    【日本のCTO vol.1】株式会社エウレカ 石橋準也氏「考えた技術的戦略がぴたりとハマった瞬間が、一番楽しい」<前編>

    日本のCTO

    2015年04月23日

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    【連載:日本のCTO】成長中の企業でCTOを務めるエンジニアたちは、どのような道のりを経てそこへたどり着き、現在は何を思考し、努力を続けているのか? この連載では活躍する日本のCTOを訪ね、キャリアの背景にあるストーリーから、CTOとしての知られざる思考やエピソードなどを伺っていきたい。
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    第1弾は、株式会社エウレカのCTOを務める石橋準也氏。27歳にして約10年のエンジニア歴を持つ彼は、200万人が利用する国内最大級の恋愛・結婚マッチングサービス「pairs」、同じく200万人が利用するカップル専用アプリ「Couples」を運営する同社の最高技術責任者、かつ執行役員として、技術から採用まで横断的な視点で戦略を練る。そんな石橋氏に、大学を中退してエンジニアとしての道を選んだという学生時代から現在にいたるストーリー、そしてCTOとしての技術的戦略に対する考え方を伺った。

    ※記事は前編、中編後編の3回に分けて掲載します。本記事は<前編>です。

     
    ■プログラミングの世界に出会い、大学3年で中退を選択
    Q.そもそも、エンジニアとして働き始めたきっかけとは…?

    東京理科大学の建築学科に入学したとき、同時にWebシステムの受託開発会社でWebエンジニアとしてアルバイトを始めたのがきっかけです。何かアルバイトをしようと思ったときに、兄が在籍していた会社に入社させてもらったという流れでした。

    最初はマークアップエンジニアとして働いていたのですが、半年くらい経ったころ、兄に「PHPを書けると稼げるよ」と言われて。なるほど、稼げるのか、と思って必死で覚えたのが始まりですね(笑)。プログラミングを始めてからは“こんな世界があるのか”と思って、本当に楽しかったのを覚えています。

    当時は毎日、会社へ行って仕事して、ほとんど社員のような形で仕事させてもらっていました。そうして徐々に”建築よりITの方が断然面白いな”と思うようになり、学部3年の始めに大学を中退しました。

     
    ■“前例がないことをやる”耐性が鍛えられた、ガラケー全盛期
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    Q.大学を中退されて、もうエンジニアとしてこの世界でやっていこう、と…?

    そうですね。そこからエンジニアとして生きていこうと思い、そのままその会社に入社しました。当時はガラケー全盛時代。プロジェクトとしては、例えば顔写真の画像認識による占い結果を提供する、iモード公式の占いサイトの開発。そのときはPHPをC言語で拡張して画像認識するという、当時はそれほど事例の無いような技術を使っていました。またメールに添付されている動画を抜き出して、それを3キャリア向けに変換して配信する動画配信サイトの開発も手がけました。

    それも当時の技術・情報量だと結構難しかった。今では様々なライブラリやソフトウェアがあるので、何でもできてしまうのですが。今に比べるとOSS活動もそれほど活発ではなく、ライブラリも少ない時代だったので、自分で“これができるのであれば、こうするとあれもできるのでは?”という発想で試行錯誤して業務を進めるなかで、技術力を高めていきました。

    また、当時はWebアプリケーションフレームワークという概念も今ほど浸透していなかった時代。Webエンジニアとして働き始めてから半年くらい経ったころ、「毎回同じようなコード書いているな」と疑問を感じるようになりました。

    もっと効率よく開発したいし、周りのエンジニアとのナレッジ共有も、言葉よりコードの方が絶対速い。そう思い立ち、PHPでピュアオブジェクト指向なMVCモデルのWebアプリケーションフレームワークを単独でスクラッチ開発し、社内のすべてのプロジェクトで使い始める、ということをやりました。

    当時すでにCakePHPとかありましたし、開発中にZendFrameworkがリリースされてそれらを見て影響は受けたものの、HTMLやメールの絵文字変換、描画時の文字コード、セッション管理、SSLの管理などガラケーに配慮したものではなかったので、独自の開発を進めました。

    Q.ゼロから新しいものを生み出していくという思考は、自然と身についていたものなのでしょうか?

    僕の場合は結構、周りが盛り上げてくれたと言うのもあります。「お前ならできるでしょ?」と言われて、そうかも、と思って(笑)。でもやっぱり情報が少ないので、自分で調べたり試したりして、カタチにして…を繰り返した時期でしたね。前例がないことをやるのには、この頃の経験で耐性がついたのかもしれません。

     
    ■システム・物流・CSを横断的に担い、ビジネスセンスを鍛えた
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    Q.次なる転機は…?

    1社目ではその後も効率的に業務を進められるようなシステムの共通化に取り組みながら、今でいうリードエンジニアのような立ち位置で2年ほど働いていました。アルバイト時代からの合計4年で大小30ほどのプロジェクトをこなしたと思います。4年なので、同世代の友人たちが大学卒業する年まではその会社にいたことになりますね。

    そこから、縁あってECやメディア運営、マーチャンダイズ事業を手がける企業へ転職。

    転職先ではIT部門のマネージャーとして、高トラフィックなECシステム・ECシステムと連携し、年間数十億円分の自社商品・他社商品の流通を支える基幹システムの開発や、自社Webサービスなどのスクラッチ開発とインフラ構築・運用のPM〜実装を担当。それらと並行して物流・CS(カスタマーサポート)部門のマネージャー、自社Webサービスのプロデューサーという幅広い業務を兼任しました。

    こんな感じで、1社目の業務はエンジニアリング中心でしたが、2社目ではシステムはもちろん、物流のベンダー選定やコスト最適化から、CSの統括、プロデューサーまで…。当時はマルチタスク過ぎて頭の切り替えが本当に大変でした。

    また自社Webサービスではユーザーサイドとクライアントサイドの両方を見なければいけないビジネスモデルだったので、ユーザーサイドに対してはFQの向上やサービス独自のKPIを設定し伸ばす、いわゆるグロースハックを行いつつ、クライアントにも直接営業に出かけていました。そうした動きの中でビジネス面の知識・経験を得ることができました。

    Q.幅広い知識は、走りながら身につけていった感じでしょうか?

    社内で誰もやったことがないことを任されることが多かったので、社内の誰かに教えてもらうことはありませんでした。新しい課題が振りかかってくるたびに本を読んだり、Webで事例探して研究したり、社外の人に相談したり。それでもクリアにならない所は実際に試してみる。そうすると自分の中で“たぶんこんな知識が必要になるのだろうな”と知識が体系化できるようになるので、その体系に基づいて知識を身につけていました。

    加えて重要なのは、当然ながらラーニングしているだけでは会社に何の価値も生み出さない社員になってしまうので、事業で中長期的に結果を出すために必要なスキルセットを身につけることと、短期的に結果を出すために必要な動きをすることのバランスを意識的に調整していました。

     
    ■マネタイズを見据えた秀逸なビジネスモデルを生み出したい
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    Q.そこから、現在へつながる背景というのは…?

    その会社で働いていたのは4年くらい。最後の方は自社Webサービスのマネタイズに奔走していました。最終的にぎりぎり黒字化はできたのですが、そこまで持ってくるのにもすごく苦労しました。

    その体験から、サービスを成長させるプロセスももちろん重要だけれど、そもそも始めから高確率でマネタイズのできる、ビジネスモデルとして秀逸なサービスを考え出すプロセスというのも重要だなと考えるようになりました。

    じゃあそれが今の自分にできるかと思ったとき、まったく思い浮かばなかった。マーケティングをして”いける”と思ったものをやればいい、と言ったらそこまでですが。その確度をどれだけ高められるか、勝算をどう計算していくのかが全然わからなくて。

     
    ■エウレカとの出会い —遊びに行ったらガチ面接だった(笑)
    Q.そんな悩みを抱えるなかで、株式会社エウレカに出会ったきっかけは…?

    漠然と悩んでいたある日、たまたまWantedlyでエウレカの求人記事を見て。それ自体はビジネスがどうこうという記事ではなかったのですが、書いてあることが結構刺激的で。「PHPがすごいできちゃうエンジニア募集」みたいな、結構煽り(あおり)系な感じだったんですよね(笑)。

    それで、面白い会社だなと思い「気になる」って押して。そしたら連絡が来て、「オフィスに遊びにきませんか?」と。で、遊びに行ったらガチ面接だったっていう(笑)。
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    でも面接で話を聞いてみると、本当に僕の求めていたところというか。絶対に成功するビジネスを見つけ出して、かつそれを本当にマネタイズフェーズまで成長させているというのを実際に見て。当時「pairs」がすでにそのフェーズでした。ああ、ここなら間違いないなと。ですから当初は技術面というより、ビジネス面を学びたくて転職をしたという経緯です。 

    ただ実際には、エウレカに入社して半年くらいは「いちプログラマー」として働いていました。サービス自体が急成長しているので、それに伴ってタスクも次から次へと出てくるというか。サービスのグロースハック以外にも、細かいインフラの面倒をみたり、新しく入ってくる人用にわかりやすいコードに変えていったり…ということをしていました。

     
    ■リードエンジニア着任を機に、怒濤の半年間を経てCTOへ
    Q.いちプログラマーから、CTOになるまでの経緯とは…?

    入社から半年後に「Couples」という事業構想が出てきたとき、もともと「pairs」のリードを担当していたエンジニアと僕が呼ばれ、「Couples」と「pairs」どっちやりたい? と言われて。当時のリードエンジニアが「Couples」を選び、僕はまだまだ「pairs」で学ぶことがあると思ったのと、サービスのフェーズとして自分が得意なのはこっちだと感じたので「pairs」を選びました。
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    そこからですね。「pairs」のリードエンジニアになって、またちょうどその時期からサービスがさらに急角度で成長していって。自分も開発しなければいけない傍ら、開発メンバーは増え続け開発環境を刷新しチーム構成を考えてとか、そうこうしているうちにインフラは悲鳴をあげる。それでもさらにpairsを成長させなければいけないのでプロデューサーとともに様々な分析をして施策を考えて…。そんななかで一番激しかったのが、Webのフロントエンドをフルスクラッチ開発するというプロジェクト。1ヵ月で「pairs」のPC版200ページをすべて書き換える必要がありました。

    しかも当時ジョインしたばかりのエンジニアが、社内にナレッジがなく、かつ一般的に学習コストが高いと言われているAngularJSを使いましょう!と提案してきて、でも面白そうだから(利便性・将来性等も含めて)使ってみようかという経緯があって。それこそ本当に何日も家に帰れない日々が続きました(笑)。

    でも、チーム作りも開発もやっぱり楽しいというか。サービスが成長していく限りは何をやっても楽しくて、いくらでも仕事ができて、と言うような日々を過ごしていました。

    Q.チーム作りとして、具体的に意識されていたことは?

    意識したのは「小さなチーム」。人数が増えてくると、ひとつの大きな開発チームのなかに目標が複数存在することになり、個々の意思や責任みたいなものが薄れていくのを感じていました。結果として一人ひとりの力がフルで発揮できていないという状況でした。
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    そこで、目標ごとにチームを分けました。サービスの高速化を目的にするチーム、UI/UXを目的にするチーム、売上だけを追求するチームなど、4つくらいに切り分け、個人の力を最大限に発揮できる環境を整えて、その時期を乗り切りました。

    そんな怒濤の半年間を経て、「pairs」を成長させたことと、今のエウレカの開発体制のベースを作ることができたと言う結果をもって、執行役員CTOのポジションについたという流れです。

     

    <中編につづく>

     

    —以上、前編では、エウレカのCTOに至る道のりを伺いました。中編では、石橋氏がエウレカのCTOというポジションに立ってから見えてきた世界、今考えている技術的戦略とは? に迫ります。

    edited by editor
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